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皆さん、ご卒业おめでとうございます。东京大学の教员?职员を代表して、お祝いを申し上げます。また、この晴れの日をともにお迎えになっていらっしゃるご家族の皆様にも、心よりお祝いを申し上げたいと思います。 振り返ってみれば、おそらくあっと言う间の大学生活だったような気がするのではないかと思いますが、この间に、皆さんの知识の量や论理の力、実験の技など、大きく成长したはずです。また多くの友人を得るなど、皆さんの生活の幅は随分と広がったことでしょう。このたび学部を卒业する学生の数は、合计で3,161名になります。うち留学生は61名です。 つい1年前には東日本大震災が発生して、すさまじい惨禍をもたらしました。こうした事態に対応して、昨年度の卒業式は、各学部卒业生の代表の皆さんだけが出席するという異例の形で実施しました。この大震災がもたらした悲惨な事態について、皆さんもさまざまな思いを持ったことと思います。また救援活動や復興支援活動には、少なからぬ学生の皆さんがボランティアとして参加してくれました。こうした大きな社会的出来ごとの中で真剣に考え、あるいは行動することを通じて、皆さんは、日々勉強を重ねてきたことによる学問的な成長にくわえて、社会的な成長も遂げたことと思います。今日そのような経験も経て卒業の日を迎えている皆さんの姿を見ると、実に頼もしく感じます。 もっとも、いまの日本社会が置かれている多难な状况を考えると、この场でただお祝いの言叶だけを述べて皆さんを送り出すというのは、教育に携わる者としてはいささか无责任であるという思いに駆られます。幸い、皆さんには、この东京大学での勉学と経験を通じて、大きな困难にも立ち向かっていける基本となる力は付いているはずです。であればこそむしろ、私が持っている、これからの日本社会の见通しについての危机感を、率直にお话ししておきたいと思います。そして、皆さんのように国立大学で、とりわけ东京大学というとても恵まれた环境で学んだ人间が、これから社会でどのような责务を担うことになるのか、改めて思いを强くしてもらいたいと思います。 皆さんもよく见闻きしているように、いまの日本の财政はきわめて厳しい状况にあります。いわゆる赤字国债への予算依存度の増大や国债残高の累积、これからの社会保障関係费の増加などを考えると、果たしてどのような形での财政再建がこの国で可能なのか、なかなか见通しがつき难いところもあります。いずれにしても、财政赤字が大きく膨らんでいること、また年金负担増と労働人口の减少をもたらすであろう少子高齢化现象が急速に进んでいるということは、よく知られている事実です。产业构造の面でも、地方の空洞化にとどまらず、円高などの影响を受けた公司の生产现场の海外移転によって、日本全体の产业空洞化が进む倾向が危惧されます。また、贸易収支についても、なかなか予断を许さない状况が今后も続いていきそうです。 ただ、こうした危机の构造の多くは、すでにだいぶ以前から语られていたことです。にもかかわらず、必ずしも有効な対応がなされないままに、今日に至った感があります。危机はどうやら、私たち自身の中にもあります。例えば戦争といったような大変动に比べれば、危机的な状况へのいまの変化の动きは缓やかです。公司の中には素早く状况に対応しているところも多いのですが、日本社会全体としては、少し手直しすれば何とかなる、明日には少しは良くなるのではないかという、必ずしも根拠の十分でない希望にすがりながら、ただ年月が过ぎてきたような気もします。「失われた10年」が「失われた20年」になり、さらにはいま、「失われた30年」に足を踏み入れ始めているのかもしれません。 たしかに、日本では高度経済成长を経て、かなりの程度の生活水準が一般的に确保されるようになってきました。こういう时には、人は、近づく危机の足音を闻いても、いままで何とかなってきたしこれからも何とかなるだろう、と考えがちです。物事が急に変化する时には人びとは慌てて対応に走りますが、物事がほどほどに动いて缓慢に社会が缩んでいく时には、人はなかなか行动できないものです。 こうした大きな问题の解决を日本という范囲の中だけで考えようとすると、どうしても限界があります。いま日本が抱えている课题には、アジアあるいは世界という大きな枠组みの中で取组んでいかなければ解决が见通せない事柄も、少なくありません。このような时代状况の中で、私は、东京大学を卒业していく学生は、これまでよりはるかに、国际的な场面で仕事をする机会が多くなるものと想定しています。そして、そこでは当然、海外の大学を出た优秀な人びとと、能力を竞い合うことになると思います。おそらく国内においても、竞争は高まるでしょう。国内の雇用机会が减少する可能性にくわえて、近い将来には、これまでよりももっと多く、海外の优れた人びとが日本の社会で活跃する时代になるでしょう。今日卒业式を迎えた皆さんの多くは、この场にいる数少ない留学生の皆さんがまさしくすでにそうであるように、国境を越えた、国籍を问わない环境の中で、能力を竞い合うことになるはずです。 こうした厳しい状况を乗り越えていくだけの十分な力を、この东京大学が皆さんに育んでもらうことが出来たかと问われると、率直に言って、まだ満足できる状态ではありません。高い学问水準を夸ることが出来るなどの面もありますが、国际性や多様性に満ちた环境の中で学生の力を錬磨する仕组みなどの面については、なお强化していくことが必要です。ただ、东京大学の中でしっかりと学生生活を送ったのであれば、自分の力をさらに锻えるために竞争の中に飞び込んでいくに足るだけの基本的な能力は、すでに皆さんの身に付いているはずです。また、皆さんはこれで学部を卒业しますが、さらに大学院に进んで勉强を続ける人も多いと思いますし、一度社会に出てもまたこの大学で学ぶ机会を得る人も少なくないはずです。そうした皆さんのためにも、东京大学の教育力と研究力をさらに、そしてすみやかに、强めていかなければならないと思っています。 東京大学の研究の競争力、また卒业生の競争力は、これまで、东京大学の歴史的な蓄積や東京大学を取巻く社会経済環境にも支えられて、高い水準を保ってくることができました。ただ、それは、東京大学の創立以来、この日本社会が、部分的にはともかく全体としては、国際社会と同じ平面上で競争することにさらされてこなかったからこそ可能であった面もあります。これからも東京大学は、日本国内においてトップ大学であり続けることは間違いないと信じていますが、人、物、サービスが世界を自由に行き交うグローバル化の大きな流れの中で、それが「お山の大将」のようなものになってしまっては困ります。 「世界大学ランキング」というものがあります。そこでの东京大学の顺位は、年々、じりじりと后退しています。そこで使われている指标や指标のウェイト付けが适切かという批判はいくらでも出来ますし、また教育研究の絶対的な水準で言えば、东京大学の総合力はかつてより高くなってきていると思います。ただ、他大学との相対比较という视点で见ると、私は、东京大学の顺位の低下が続く可能性はあながち否定できないと感じています。それはつまり、东京大学の力が伸びる以上に、诸外国の大学の力が急速に伸びてきているということです。 东京大学が思い切り力を出せない背景には、予算削减のために国际化など教育研究の基盘的な部分に力を入れる余裕が乏しいこと、多くの教员が教育研究にあてることの出来る时间が少なくなっていること、柔软な人事や财务运営に制度的な制约があることなど、いくつかの深刻な事情があります。他方、高等教育机関への公财政支出や科学技术関係予算の増加などを背景に、中国をはじめとするアジアの诸大学が、いま、非常に力をつけてきています。分野によっては东京大学よりもすぐれた大学も出てきています。こうした倾向は、今后さらに强まるでしょう。また、これまでやや「内向き」とも见えていたドイツやフランスなどの大学についても、それぞれの政府が国际的な竞争力を意识しながら大学の统合や重点投资を强めています。さらに、アメリカの有力大学でも、国内だけでなく国际戦略を积极的に展开する动きが见られます。 念のために言っておきますが、私はランキングの順位そのものを気にしているわけではありません。そうではなく、ランキングに少なくとも傾向としては反映されるような大学の総合力の相対的な低下が、東京大学が送り出す卒业生の皆さんの競争力―国内だけではなく国際的な競争力―の低下の兆候、さらに日本の基盤を支える研究の競争力の低下の兆候を示しているのではないか、ということを懸念しているのです。しかも、このような大学をめぐる国際的な競争環境の変化のスピードは、非常に速いものです。 こうした状況を見据えながら、東京大学では、国際化や教育力の強化をはじめとして、さまざまな改革を進めています。東京大学はとても大きな组织です。また、明治期以降の「成功体験」を持っています。今まで通りやっていれば国内でトップの地位は揺るがないと考えるのは自然です。しかし、少なくとも、先ほど申し上げたように、大学を取巻く国際的な環境は、これまでとは大きく様相を異にしてきています。「今まで通り」でよいのかどうか、真剣に問い直さなければなりません。また、問い直す時には、今まで当たり前だと思ってきた考え方や社会的な仕組みが本当に当たり前のものなのか、ということも考えなければなりません。そうした根本的な問い掛けをすることは、学問というものに携わる人や组织が当然とるべき立場であるはずですし、育てる学生たちの10年後、20年後をも見通すべき、教育に携わる者の責任でもあるはずです。 社会の在り方を考えるにせよ、大学の在り方を考えるにせよ、私たちの思考や発想は、どうしても、いま出来上がっている制度や仕组みに拘束されがちです。いま现にあるシステムを前提として、その一部を改善することで何とかできればと考えるのは、よくあることです。私たちはしばしば、あるものがほどほどに动いていれば、それで満足して本质的な改革のチャンスを失います。しかし、日本社会をめぐる状况が内外ともに、これほど激しく変动している时代にあっては、现状の仕组みや私たちの思考方法を根本から疑う视点も持たなければ、あっという间に流れに取り残されていきます。これからの时代を作っていく主役となる皆さんには、决してそうであって欲しくないと思います。いま私が、「秋季入学」という构想について学内で议论をしてもらっているのも、そうした强い危机感を持っているからです。 東京大学の総長が、困難な社会状況の中に卒业生を送り出していかなければならない、それでも卒业生たちの若い知性と徳性に未来をかけよう、という思いをしたことは、この大学の歴史の中で何度もありました。とりわけ、第二次世界大戦が終了した年に総長に就任した南原繁総長の卒業式における演述には、そうした思いが満ち溢れています。当時のような、焦土から国家を再建していくことが求められた時代に比べれば、まだいまの日本の社会にも経済にも力があり、また大学でしっかり学ぶ機会を得た皆さんの、新しい時代を作る知的な力と人間的な力を信じることが出来ます。だからこそ、今日、私は、日本社会のこれからの厳しい見通しを語りつつも、なお、皆さんを明るい気持ちで送り出していくことが出来ます。 先ほども言いましたように、社会や组织が緩やかに衰退しつつあることに気付いていても、ほどほどにうまく行っていると思うと、多くの人はなかなか動くことが出来ません。そうした時に、あえて一歩も二歩も前に出て、新しい時代の基礎を作るのが東京大学の役割であり、東京大学の卒业生の役割です。この卒業式を機会に、困難な時代に立ち向かっていく皆さんと、困難な時代に立ち向かっていく大学との、新たなコラボレーションが始まるということを願いながら、告辞を終えることとします。皆さんのこれからのご活躍をお祈りします。
平成24年3月23日 东京大学総长 滨田纯一
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