平成22年度卒业式総长告辞


式辞?告辞集 平成22年度卒业式総长告辞
平成22年度东京大学卒业式告辞 皆さん、ご卒业おめでとうございます。また、皆さんが学业に励んできた间、皆さんをしっかりと支え、この晴れの日をともにお喜びいただいているご家族の皆さまにも、お祝いの気持ちをお伝えしたいと思います。 このたび卒业する皆さんの数は、合计叁一〇一名になります。うち留学生は一〇叁名です。 皆さんがこの東京大学で過していた間にも、世の中は大きく変化しました。二〇〇八年のリーマン?ショックに端を発した世界的な金融危機、経済危機は、皆さ んが大学に入ってから間もなくの出来ごとです。その時からだけでも、時代は急速に動いています。経済の低迷や社会的格差の拡大、少子高齢化の進行、あるい は国際的なパワー?バランスの変化など、日本の社会に試練をもたらすさまざまな出来事が起きました。 こうした大きな時代の試練を大学在学中に経験して卒業していく皆さんには、これらの出来事があったことを生涯において忘れることなく、学んできた知識がこ のような事象に対して何を出来たのだろうか、また何を出来るようになるべきなのだろうか、それらを問い続けることを、これからの仕事や研究のバネとしてい ただきたいと思います。とても残念なことですが、知識はしばしば悲劇をバネにして成長を遂げます。技術が戦争をきっかけに発展するということはよく言われ ますが、日本では第二次世界大戦後の復興の槌音の中でも技術は大きく成長しました。また、たとえば日本の社会科学は、戦争の惨禍に対する深い反省を踏まえ て大きく発展してきたところがあります。さらに、このたびの大震災は、人間と自然との関係のあり方についても課題を投げかけているように思えます。苛酷な 事態から真摯に学び、痛みが少しでも早く癒えるように、また、次の世代が同じ苦しみや悲しみを味わわなくて済むようにすることが、学問の務めであり、そし て学問を学んだ人間の務めです。 いま私は、知識の役割を、社会に対する直接的な貢献の面からお話ししてきました。しかし、知識の役割は同時に、きわめて個人的なもの、すなわち、個人の人 格としての成長にもかかわるものです。『論語』の中の孔子の言葉に、「古の学者は己の為めにし、今の学者は人の為めにす」という一節があります。つまり、 かつては学問をするという行為は自らの人格を高めていく修養であった、しかし最近の学者は、「人の為にす」となっていると。この「人の為にす」という言葉 は一見、「社会の役に立つ」という意味のように受取れ、孔子はそれに否定的であったように読めます。しかし、この論語に訳註を付していらっしゃる金谷治先 生の説明では、「人の為にす」というのは「人に知られたいためにする」という意味で、孔子が否定していたのはこのような、もっぱら他者の評価を意識した学 問への姿勢です。 このように、知識が社会に対して直接的に、あるいは間接的にもつ役割を理解しながら、皆さんにはこれからも、知識というものと深く付き合い続けてもらいた いと思っています。知識をさらに学び成長させていくための基礎的な力は、大学での勉学を通じてすでに皆さんに十分備わっています。もちろん、その知識は、 まだまだ素朴なものです。いま皆さんが持っている知識を絶対のものと考えて、それで世の中を割り切ることには慎重であってほしいと思います。今の自分の知 識を他の人の知識やこれからさらに学ぶ知識とぶつけ合わせる、あるいは現実の経験の中で鍛えていく、そういう謙虚な姿勢をもつことによってはじめて、皆さ んの知識は本物になります。そうしたプロセスそのものが学問を「己の為にす」る行為となるとともに、そこで鍛えられた知識は確実に社会に役立っていくこと と思います。 最近、若者が「内向き」だと言われます。例えば海外留学に出かける若者が減っているというごく部分 的な現象だけをとれば、「内向き」という表層的な評価が出てくるのかもしれません。しかし、私は、「内向き」かどうかは、いま申し上げたような知識に対す る真摯な姿勢を皆さんが持ちつづけるかどうかで決まると考えています。この点では、皆さんが「内向き」であるとはまったく思いません。すさまじい惨禍をも たらしたこのたびの震災は、これからの日本社会の形にも大きな影響を与えることになるはずです。新しい日本の姿を求めていく格闘の中で、知識というものに 正面から向き合い続ける皆さんの姿勢が、間違いなく、次の時代を生み出す力となると信じています。 平成二叁年叁月二四日 东京大学総长 |
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