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平成22年度学位记授与式総长告辞

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式辞?告辞集 平成22年度学位记授与式総长告辞

平成22年度东京大学学位记授与式告辞

 このたび东京大学より、博士、修士、そして専门职の学位を授与される皆さんに、心からお祝いを申し上げます。また、この晴れの日をともにお迎えになっているご家族の皆さまにも、お祝いの気持ちをお伝えしたいと思います。
 今年の学位记授与式は、例年とは异なり、各研究科修了生の代表の皆さんだけに出席してもらい、学位记の授与を行うことにしました。また、场所も、安田讲堂ではなく、この小柴ホールを用いることになりました。これは言うまでもなく、东北地方太平洋冲地震、そして福岛の原子力発电所の事故の影响を考虑したものであり、また多数の人间が一堂に集まった场合、万一の际の避难リスクの高さに配虑したものです。この式典の模様はインターネットで中継していますので、多くの皆さまにご覧顶けていることと思います。

 本日、大学院を修了する学生の数は、修士课程二八〇〇名、博士课程七〇六名、専门职学位课程四〇五名です。留学生の数は、それぞれの课程の内数で、二四八名、一一九名、七名です。
 长い期间にわたる学生生活を终えて、これから社会に出て学术の成果を试そうとする人もいれば、引き続き研究の世界で学术の蕴奥を究めようとする人もいます。大学院において学部时代よりもいっそう深く専门的な知识を探求する机会を持ち、これから人生の新しい段阶に踏み出そうとしている皆さんに対して、それぞれの分野の専门家であると同时に、「知识人」であってほしい、というメッセージを私から伝えたいと思います。

 つい先ごろ、东北地方太平洋冲地震が発生して、多くの人びとにすさまじい被害をもたらしました。ここに大学院を修了しようとしている皆さん、あるいはそのご家族、ご関係の皆さまにも被害が及んではいないかと、忧虑しております。この震灾によっておびただしい数の尊い命が失われたことに、深い哀悼の思いを捧げたいと思います。まだ行方不明の方も多く、関係の皆さまのご心痛はいかばかりかと存じます。また、负伤し、あるいは心に伤を负われた皆さま、生活の基盘を失われた皆さまに、心よりお见舞いを申し上げます。このたび修了する皆さんの中にはすでに、さまざまな形で被灾地への支援活动を行っている人たちがいると思います。ぜひこれからも、可能な活动を展开していただければと思いますし、东京大学としても出来る限りの努力を行っていくつもりです。
 一言申し添えておきたいと思いますが、このたび修了する皆さんの中には多くの留学生がいます。留学生の皆さんの国からも日本に対して、お见舞いや激励、さらに紧急物资等の提供や救助队の派遣など、多くの温かい支援をいただいています。この机会を借りて感谢を申し上げます。

 いま现に非常に困难な状况にある被灾された皆さまへの直接的具体的な支援にくわえて、学术という専门性を身に付けた私たちに求められているのは、これからの被灾地の復兴に、さらには日本全体の復兴に、どうやって私たちの専门的な知识や知恵を生かしていくことができるのか、真剣に考えることであろうと思います。これからの復兴は、社会インフラの整备や町づくりなどとともに、生活や社会の仕组み、さらには、自然との付き合い方も含めて、私たちの生き方そのものについても改めて考えていくような復兴となるだろうと思います。それは一つの时代の终わりであり、また始まりです。こうした大きな変化の时期にあっては、第二次世界大戦后の六〇年余だけを振り返ってみても、いくつかの节目に、个々の専门知识を活用するというだけでなく、幅広い知识を基盘に、歴史的な视野のなかで时代を见る力を备え、また理念の作用力を信じることによって、时代を前に突き动かす役割をした人びとが存在したように思います。そこで私は、「知识人」という言叶に今日触れようと思ったのです。
 「知识人」というのは、おそらく最近は影が薄くなってきたように思われる用语です。ときどき、「有识者」といった言叶は使われますが、これは専门的知识を备えた者といった意味合いに近くて、少し违います。

 この知识人という言叶を语る时に思い出すのは、东京大学の创立一叁〇周年の际に、大江健叁郎さんが「知识人となるために」という题名の记念讲演をなさったことです。その讲演の中で、大江さんは高校生时代に、あるフランス文学者の一册の本を読み、知识人というものになりたいと考えて大学へ行こうと思った、という话が出てきます。ここで、大江さんは、「知识人とは个人の声で语る」、そして「个人のスケールで、しかしその个人の全力を挙げて、社会における自分の责任をとろうとする」、「普遍的な原理に立つ人间」だということを述べています。个人であるということの大切さとともに、个性がもつひずみ、ゆがみ、欠けているところなども认识しながら発言し、なお普遍性という原理への志向を失わない、ということを、知识人の资质として强调されています。
 この大江さんの言叶は、いわゆる知识人が政治的権力との紧张を失いつつあることに対する警鐘も含んでいるのですが、私は、この视点を少し広げて、歴史的な视野と理念の力への信頼を轴足に、いま目の前にある社会の枠组みや考え方との紧张感を失わないのが「知识人」だ、という风に応用させていただきたいと思います。あえてこのように、大江さんのもともとの概念が持つ鋭角的な切れ味を犠牲にして拡大解釈させていただくのは、これからの日本のあり方というものを考える时に、政治的権力というだけでなく、これまでの社会の枠组みや考え方全般と、建设的な紧张を持ちながら次の时代を作っていく役割が、「知识人」という存在に期待されるだろうと考えるからです。

 すでにこれまでも、「日本の再生」が私たちの大きなテーマとなっていたのは、ご承知のとおりです。経済の停滞、少子高齢化の进行、社会的?経済的な格差の拡大、国际社会における日本の地位など、多くの议论がなされてきました。そこでは、时代の大きな変わり目を意识しながら、新しい形の社会のあり方、ものの考え方が模索されてきました。そして、このたびの大震灾が、こうした议论の必要性をさらに加速することになったと思います。とりわけ、この近代化されたと思っていた社会で、これほどのすさまじい惨祸をどうして避けることができなかったのか、あるいは、原子力をどうしてもっと适切にコントロールすることが出来ないのか、これまで良しとされていたものをもう一度见直してみることが、いま求められているように思います。それは、技术の问题だけではなく、社会の仕组みの问题であり、私たちの生き方の问题であり、つまるところ、私たちの基本的なものの考え方の问题にもかかわってくるところがあります。
 こうした时代に求められるのが、専门家であると同时に知识人である人たちです。つまり、「今あるもの」にとらわれず、自らの知的意味での全存在をかけて建设的な挑戦を行っていく人たちです。そうした知识人が多くの人びとと协働して大きな変化のうねりを作っていくことが、日本の復兴を支える重要な基盘となるはずだと考えています。

 大江健叁郎さんが大学に入って知识人となろうと考えた顷の大学进学率は一〇%くらいでした。いまは、大学院に进学する人も多くなってきていますから、これからの时代に知识人になろうと志す人は、大学院を目指すということであっておかしくはありません。実际、多くの国で社会的に重要な役割を果たしている人びとの间で、修士あるいは博士といった学位をもつ人が増えているのはご承知のとおりです。そうした意味では、今日学位を授与された皆さんは、知识人となるための足がかりを得た、と言ってよいかもしれません。
 もちろん、皆さんが学位を得ただけで知识人として一人前だと言うのは、言いすぎでしょう。しかし、これからもなお皆さんが知的な営みを続けていくことによって、これからの社会が求める知识人となっていくための基盘は、大学院という特别な勉学の机会をもったことによってすでに培われているものと思います。この基盘の上に、建设的な批判力をもった知识をどれだけ育て表现していくことが出来るかは、皆さんのこれからの意识と努力にかかっています。

 さて、私は今日、被灾地の復兴、日本の復兴ということに重ね合わせて、皆さんが知识人として活跃することへの期待を话してきました。ここにいる多くの留学生の皆さんは、若干の违和感を持ったかもしれません。しかし、ここで话した私の问题意识、そして皆さんへの期待は、普遍的なものです。皆さんの母国も、それぞれに固有の表れ方をみせつつ、私がいま申し上げた课题、つまり、これまでの社会的な仕组みや生き方、ものの考え方を大きく见直さなければいけない状况に直面しているはずです。世界的な规模での変化の时代にあって、やはり留学生の皆さんも、それぞれの国の文脉において、「知识人」であることを求められているのは间违いないと思います。
 これから长い人生を送る皆さんにとって、この学位记授与式の记忆は、大震灾のすさまじい惨祸の记忆とともに残ることになるはずです。その记忆をバネとして、「知识人」として成长し、新しい社会を作るために先头に立って活跃する皆さんの姿を楽しみに、私の告辞を终えることとします。

平成二叁年叁月二四日

东京大学総长
滨田纯一


 

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